解説
日本の文化において、特定の数字は忌み嫌われる存在として認識されています。特に「4」と「9」は、音の響きが「死(し)」や「苦(く)」に通じることから、不吉な数字とされています。このような忌み数は、古くから民間伝承や怪談に深く根付いており、様々な妖怪や幽霊の話に影響を与えてきました。
忌み数によって引き起こされる恐怖は、単なる数字の意味以上のものです。数字は目に見えない力を持ち、日常生活の中でも静かに人々を悩ませています。日本の伝承では、これらの忌み数に触れることで、予期せぬ不幸や不吉な出来事が起こるとされることが多いのです。特に、旅館や古い家に伝わる怪談の中では、数字にまつわる不吉なエピソードが数多くあり、聴く者の心に暗い影を落とします。
怪談
古い旅館の廊下は、雨の音とともに静まり返っていた。醤油色の廊下板は、時折きしむ音を立て、一人の宿泊客が幽玄の世界に迷い込んだかのように感じさせる。彼の名は健太。疲れた体を休めるため、片田舎のこの旅館に足を運んだのだった。
健太は、一人部屋に通された。壁には、かすかに見える数字が書かれた札が掛かっている。その数字は、まるで擦り切れた手が生み出したかのように、ぼんやりとした印象を与えた。「4」と「9」。普段は気にしないと決めていたが、どこか気になって仕方がなかった。
夜が更け、健太はテレビをつけ、流れる情報番組をぼんやりと眺めていた。しかし、淡々とした報道の声が、次第に耳に入らなくなっていく。視線が廊下の方へ向かうと、何かが揺れているのに気づいた。数枚の札だ。風もないのに、揺れている。まるで、誰かがそれに触れ、何かを訴えかけているかのようだった。
不安を覚え、健太は立ち上がり、札の近くへと近づく。恐る恐る手を伸ばす。触れた瞬間、札がぴたりと静止した。彼の心臓は鼓動を早め、冷たい汗が背中を流れる。そこに書かれた数字を見つめるうちに、急に冷たい風が廊下を駆け抜けた。健太は目をそらし、慌てて部屋に戻ろうとする。
だが、すぐに彼は気づく。自分の部屋のドアは、いつの間にか開いていた。閉まったはずの扉が、今は薄暗い廊下の奥に開いていたのだ。横目でちらりと見やると、部屋の中には誰かがいるようだった。薄暗い光の中、影が一つ、彼に向かって手を伸ばしている。身を乗り出して見つめるが、何も言わず、ただそこに立っている。
恐る恐る歩み寄る健太。しかし、その瞬間、電灯が点滅した。明るさの中で、影は消え去る。何もない部屋の中、ただ静けさだけが残っていた。彼は、もう一度ドアを閉め、背を向けたはずだった。
その時、背後から再び冷たい風が流れ込む。何かが、彼の耳元で囁くような音が聞こえた。「忌み数が、ここにある」と。不安が心を覆い、再び廊下の札を思い出す。無意識のうちに、彼は急ぎ足でその場を離れようとした。
だが、廊下の壁にかかる札の数は、2枚から3枚に増えていた。健太はそのまま足を止め、踵を返した。その瞬間、廊下の灯りが消え、周囲は闇に呑み込まれてしまった。
彼は、再び「4」と「9」が重なる数字を思い描く。静寂の中に、不気味な囁きが響く。「来るな、来るな、来るな…」その声は、ますます近づいてきていた。背後に感じる何かの気配。健太は、目を閉じ、逃げ出すことだけを考えた。
だが、どこまでも逃げても、出られない場所にいることを痛感した。数が、箱のように彼を包み込む。やがて、彼の心は「忌み数」に呑み込まれてしまったのだった。
薄明かりの中、旅館の廊下には、ただ静けさだけが残されていた。数枚の札は、そのまま揺れ続けている。誰もいないはずの空間に、ただ不気味な数字が響いていた。